冬の日のスニーカー

Takeuchi Haruko

竹内 葉留子

このスニーカーは、大学受験で気が滅入っていた頃に履いていたものです。私は現役時に大学に落ちてしまい、一年浪人させてもらったのですが、現役の受験直前に母が病気で倒れて自宅介護が始まったり、生活費を稼ぐためにアルバイトをはじめたり、予備校に通うために東京で一人暮らしをしたりと、生活環境が目まぐるしく変化して行く中で精神的にも肉体的にも限界になってしまい、泥のように日々を過ごしていました。受験そのものに対するプレッシャーもありましたが、母の介護を父と姉に任せっきりにして、自分だけ勉強やバイトをさせてもらっている事への罪悪感がありました。

脳に障害を負った母は短期的な記憶を保つ事が難しく、日常生活に様々な支障を抱えていました。そして、私たち家族は母をサポートしようとすればするほど空回り、消耗していきました。怒号の絶えない日々の中で、私はだんだん、物事を悪い方向にしか考えられなくなっていました。「家族の誰かが今の生活に心を病んでしまったらどうしよう」「私が目を離している間に何か決定的な事が起こってしまったらどうしよう」。浪人生活が始まって数ヶ月が経つ頃には、家族から目を離す事への恐怖から、外へ出ること、睡眠をとることなどが苦手になっていました。

そんな精神状態だったので、長く家を離れることが何より不安でした。予備校の講習に通うため、夏と受験直前の冬の合わせて3ヶ月ほど東京で暮らしていましたが、この期間が不安のピークだったように思います。そして、この期間のお守りが姉に買ってもらったこのスニーカーでした。母が倒れてからはいつでもこの靴を履いて外出していたので、苦しい時も一緒に闘ってきた相棒のようでもありました。毎日毎日履いていたからか、一年足らずで履きつぶしてしまい、靴屋さんを巡って同じもの購入しました。(実物として展示したスニーカーは2代目、一緒に展示してあるパネルは予備校の課題として初代のスニーカーをモチーフに描いたデッサンです。)

東京で暮らしていたマンスリーマンションには、その後の大学生活を見据えて購入した私物などもありました。しかし、運送費のことを考えると、結局ほとんど手元には残せず、向こうに捨てて来てしまいました。ですが、このスニーカーを見るたび、当時のことを鮮明に思い出します。母が倒れてから受験が終わるまでの2年間は、私の人生において最も辛かった冬の時期でしたが、その時期に出会った人達や支えてくれた人達は本当に温かく優しい人ばかりでした。私はいつか、その人たちに恩を返したいと思っています。

Uxlab #05

2 Much 2 Soon

Takeuchi Haruko