あのときを写したカメラ

Suzuki Otowa

鈴木 音羽

私のたからものは、父からもらったカメラたち。 今回展示したのは、その中のひとつである。 どうして大事なのかというと、両親の愛情の詰まったものだから。 そんな私のたからものを取り巻く思い出を、簡単ではあるが振り返っていこうと思う。

小さい頃、寝る前の時間は父と遊んで過ごした。 父が作ってくれた段ボール製の家で絵を描いたり、 たんすの上からジャンプしてキャッチしてもらったり、 キャッチボールをしたり。 いろんな遊びをしたうちのひとつが、一緒にカメラをいじること。

カメラ好きな父はレアなカメラをたくさん集めていた。 光学機械としてカメラが好きで、特にフィルムカメラがいいらしい。

「聞いてごらん、いい音するでしょ」 「これは電池を使わないで動くんだよ」 「パパはジウジアーロのデザインが好きなんだ」

このカメラのどこがすごいのかとか、好きなデザイナーの話だとかをよくしていた。 保育園児が持つのも一苦労な重たいカメラを、支えてもらいながら持った。 そんな、母がお風呂に入って寝室にやってくるまでの時間。 20年近く経った今でも思い出せる。

「これね、揃えられるものは2台ずつ買ってあるの」 ??? 小さいながら、何を言っているのかと思った。 父は続けた。

「パパが死んで分けっこするとき、みうとけんかにならないように。」 「おととみう、そんなけんかしないよ」 「おと、ぼーっとしていいカメラ全部取られそうじゃん」

みうは4つ歳の離れた私の妹。 とても気が強い。 妹のことが大好きだし、物欲があまりなかったから、大抵のものは妹の「欲しい」を優先させて、余ったほうをもらうことが多かった。 父はそんな私が我慢をしていないか、いつも気にかけてくれていた。

2つずつ。 どんな些細なものでも、どんなに大きくなっても、嫌な思いをしないよう静かに守られてきた数字。 この人は最後まで父親でいようとしているのだと、いまになって思う。

わたしが生まれ、両親は熱心に写真を撮った。 そこには小さいわたしと、両親が親を一生懸命やっている姿が写る。 何もわからない中で、自分の出来うる“大事にする”を一生懸命やってくれていたのが痛くわかる。 写真が残してくれたその揺るがない事実が、わたしをつよくしてくれると思う。 いまの私が、思いきり挑戦できるのは、どうなっても帰れる場所があると思えているからだ。

父が、母が、祖父母が私を写したカメラが、大きくなった私の手元にやってきた。 私がシャッターを切る番である。

今度はわたしの大事な人たちに、愛しているよと伝えておくれ。

Uxlab #05

2 Much 2 Soon

Suzuki Otowa