僕とミニカー

Kohei Takata

髙田 康平



僕はこのミニカーを捨てるのがとても怖い。

なぜだろう、とても恐ろしいことのように感じてしまう。


日曜大工が好きな祖父の影響で、僕は幼い頃からものづくりが好きだった。
大人の真似事が好きで、よく道路標識や看板を厚紙で作っていた。

このミニカーは、そんな僕の最初のものづくりの隣に、いつも存在していたものだ。


特にこの「緑のイプサム」はどこへ行くにも持ち歩くくらい大切にしていた。

ミニカーの塗装が擦れ落ちていくにしたがって、僕は大きくなっていった。


その延長線上で絵を描くことを覚え、いつしか美術大学を志すようになったが、
とある理由から結局僕は人より少し遅れて大学に入学することになる。

17歳から20歳になるまで、人生を間違えていた。

その間、絵を描くことも、ものづくりもやめてしまった。

多くの時間を部屋に引きこもって過ごした。自分自身を傷つけ続け、その過程で周囲の多くの人々を傷つけた。その頃の罪はいくら償っても償いきれないが、そんな僕にだって幸せになる権利はあってもいいはずだと今は思っている。



いま、僕はものづくりが大好きだ。

「つくる」という行為は、「生活をよりよくしたい」「よりよく生きていきたい」という欲求から生まれるものであると思う。人間讃歌だ、と思うことすらある。


僕はそんな、人々のよりよく生きていきたいという想いを感じるのが大好きだ。



僕はこのミニカーを捨てるのがとても怖い。

ここで感じる恐怖の本質は、これからもずっとものづくりに携わっていたいという、僕の意思そのものかもしれない。これを捨てたとき、自分の中にある目に見えない栄養が失われ、電池がぷつりと切れてしまうような気がして、怖いのだ。



僕のこれまで通ってきた道筋はとにかく失敗ばかりだったが、
そんな僕にとっても、いつだって過去は美しい。


だけど過去と同じくらい、いまは未来を信じていたい。
繊細な人間だからこそ、いつだって楽しい方の選択肢を選びとって生きていたい。


僕は明日もなにかを作り続けるだろう。
それが僕にとって、楽しい方の選択肢なのだ。


思春期真っ盛りのあの頃とは違い、
ダメでカッコ悪い自分のことを半分笑いながら生きていられるようにもなった。


ここまで来るのは本当に長かった。
だから、ときどき忘れてしまう。






「なんで、いまここにいるんだっけ?」






細く切れかかった糸を手繰り寄せ、いちばん最後にたどり着く記憶。

僕とミニカー。そしてあの部屋、あの風景。


2022年6月16日
髙田 康平