あの日のまちと和歌
私の宝物は小学校の時に出会った、小倉百人一首だ。
初めて百人一首に出会ったのは小学校の国語の授業だった。
先生が配ったプリント用紙に無機質な表と数字が羅列していて、自分が到底理解できないような言葉が踊っていた。
たった三十一文字で構成された小さな世界に、気付いたら私はのめり込んでいた。
わけのわからない言葉の羅列はいつしか、私の目にうつる世界を鮮やかに変える魔法の呪文となった。
ももしきの古き軒端も、手向山の紅葉の色も、猪名の笹原もこの目で見たわけではないのに鮮明に景色を思い浮かべることができる。そしてそれら和歌に詠まれた情景は、私の住んでいた辺鄙な田舎町を面白くしてくれた。
私の記憶と思い出はこの百人の人間が詠んだ世界と強く結びついていて、いつだって私の心を優しく、確かな強さで揺り動かしている。
鮮やかな歌の世界を展示で表現するとき、どうしたらこのワクワクを共有できるのだろうと考えた。
こどもっぽいイラスト、和という雰囲気からはかけ離れたビビットカラーの展示になったのは小学生の時のキラキラした私の世界をそのまま表現したからだ。
例えばこの待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)が詠んだ歌、
長からむ 心もしらず 黒髪の みだれてけさは 物をこそ思へ
これは恋に振り回される女性が詠んだ大人な歌で、本当の意味を知るには小学生の私はまだまだこどもだったのだが、人の本心が見えなくて悩む気持ちには覚えがあった。
小学校という小さな世界が世界の全てだったあの頃、友達という存在は今以上に強いつながりがあって、だからこそ不確かな口約束の脆さをも知っていた。
ずっと友達でいようね、その言葉を信じていいのか、いけないのか思い悩む夜がなかったわけではない。次の日起きたらモヤモヤは晴れて、だけどどこか釈然としない気持ちのままぐちゃぐちゃの髪の毛を梳いて学校に向かっていた。
この気持ちはきっとこの歌の気持ちと似ているんだ。そう無邪気に考えていた。
詠まれた情景とは違う景色が浮かび上がってくるのも百人一首を覚えている時に感じた面白さだ。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
この歌の上の句「かささぎの渡せる橋」には二つの解釈がある。ひとつは七夕の折、織姫と彦星を繋ぐ天の川にかかる橋、もう一つは宮中の紫宸殿の階段に降りた霜をかささぎに喩えたというものだ。どちらも冬の冴え冴えとした日に、夏の夜に想いを馳せるロマンチックな歌だ。
私にとってのかささぎはロマンチックのかけらもないが、母の故郷の南の島と日本を繋ぐ飛行機だ。一年に一回の母の帰郷に、小さい私と妹はよくくっついて行っていた。一年に一回しか会えないお母さんのお母さん、賑やかな家族、ゆっくりと流れる時間。そういったものは日本にいては決して味わえない愛おしい時間だ。
冬の寒い布団の中でふとその南の島を思い出す時、指先は冷えているのに心はあたたかくなる。来年が待ち遠しくなる。織姫もこんな気持ちだったのかな。そしてそんな想いを詠んだ歌人にも会いたい人はいたのだろうか。
千年前と今とでは見える景色は全然違うけれど,あの日あの時詠まれた歌の景色は私の目の前に広がるまち通づるものがあると思う。
今回は百首の中でも自分が最初の頃に覚えた自分とつながりが深そうな八首を選んで展示した。この展示を通してこの世界の魅力に気づく人が少しでも増えるといいなと思っている。
「想いを馳せる」という言葉があるが、馳せるの語源「馳す」は馬で駆けるかの如く早く遠くあなたのところに行くという意味がある。和歌は自分の力ではいけないような時代にだって馳せ参じることができるのだ。