心を染めた絵の具

Suzuki Miu

鈴木 美羽

私の宝物は、アクリル絵の具だ。

辛い受験期を乗り越えた証でも、
自分の人生の転機を象徴するものであるからでもない。

アクリル絵の具が私にとって大切なものである理由は、 姉からの愛と、姉への感謝がたくさん詰まっているからである。

アクリル絵の具を初めて握ったのは、美大受験には遅すぎる高校3年生の夏休みだった。この日まで私は、看護師を目指して勉強ばかりの日々を送っていた。

本当は、心の奥底では、美大に行きたい、という思いがあったが、姉と同じ道に進んだらマネみたいだ、という反抗心と、中高一貫校で勉強ばかりの6年間を過ごし、美術とは程遠い世界にいたことによる諦めで、自分の心に蓋をしていた。



そんな私の気持ちに気づいた姉は、

「描いてみなよ」

そう言って、自分のアクリル絵の具を私に差し出してくれた。

一筆目を入れるまで、あれほど躊躇していたのに、筆を動かした瞬間から不思議と夢中になって、気づけば夜中までずっと描いていた。ただただ楽しかった。


その日を境に、私の第一志望は長岡造形大学に変わった。

しかし、大変なのはこれからだった。

「看護師はとっても意義のある仕事だよ。みうに絶対向いているって!」
「もう一度考え直して、意見が変わったらまた聞かせてね。」

浪人覚悟だと伝えても、担任には、何度も反対され、考え直せと帰された。
高校としては国立大学を目指してほしかったし、浪人生も出したくなかったのかもしれない。

それでも姉だけは、私の味方をしてくれた。
どうしても話を聞いてくれない担任に、

「おと(姉)から話をさせてほしい」
と言って電話をかけてくれたり、両親に話す時も一緒に付き合ってくれた。

受験勉強にも、大学の課題の合間を縫って付き合ってくれていたし、
姉は私の先生でもあった。

姉の優しさは、受験がきっかけで始まったものではなく、私が生まれてからずっと、姉は変わっていない。

私の両親は、おもちゃでも、食べ物でも、父の趣味であるカメラやバイク、土地すらも、どんなものも姉妹平等に用意してくれていた。そんな両親が、

「おとわはどっちがいいの?」

と声をかけても、

「みうはどっちがいい?」

が姉の口癖で、必ず私の気持ちを優先してくれていた。

こんなに妹想いの姉なのだが、私は恥ずかしいことに、そんな姉の優しさや偉大さ、姉からの愛情には、美大受験があるまで気づけていなかった。

素直に感謝し、昔を振り返れるようになった今、少し後悔している。



2020年8月12日。



姉が絵の具を握らせてくれ、美大を目指さなければこんなことにも気づけなかったかもしれない。
アクリル絵の具は、姉の愛情と優しさが詰まったものであり、私の姉への思いを変えてくれた大切な宝物だ。



今度は私が、
どんなことがあっても私だけは、姉の味方で居続けよう。